<パラスポニュース ☆マラパスクアクルーズ 5/22号>
<パラスポニュース ☆マラパスクアクルーズ 5/22号> 日本は緊急宣言がどんどん解除され、少しづつ安心感のある生活が 取り戻せている今日ですが、いかがお過ごしでしょうか? パラオスポートは今月末までレイテ島で待機中! 船にとってもクルーにとっても2ヶ月を超える「LOCKDOWN」はかなりの忍耐! パラオスポートを守っているクルー達!ありがとう! ところで、 海の情報がないこの時期に、ちょっと赴きをかえて パラオの歴史を3回に分けてお伝えしようと思います。 ■パラオの歴史:第一話 15世紀はスペインとポルトガルの大航海時代で、パラオは寄港地 になっていました。 地球を2分割した両国はフィリピンより東側をスペインの統治、 西側をポルトガルの統治と決め、パラオはスペイン領になりました。 その時代はアジアからの珍しい品物(絹、茶葉、スパイス、アヘンなど)を 安く買い付け高く売っていました。 しかし、中継地点のオスマン帝国を通過すると高い関税をかけられるので、 ヨーロッパ西端の両国はオスマン帝国の陸路を通過せず、海路でアジアを 目指す商業方法をとったのが、大航海時代の始まりです。 又、航海中にみつけた島々や大陸は発見した国の植民地となっていました。 1979年、イギリスのアンテロープ号が座礁した際、コロールの酋長が 船の改修工事を手伝った事から、船長がお礼にと武器を販売し、 部族抗争をおこなっていたコロールとマルキョクでは武器をもった コロールが勝利しパラオを治めていました。 又、スペインの東インド貿易会社はアヘンの販売で多額の利益を上げ、 帰港地としていたパラオは港使用料で高税収を上げていました。 パラオでマリファナが合法だったのはこのいきさつからかもしれません。 米西戦争に敗北したスペインは、ドイツにミクロネシアを売却し、 パラオはドイツ領になり、ドイツ時代が始まります。 ドイツ時代は砂糖、コプラ、りん鉱などの貿易をおこなっていましたが、 第一次世界大戦で日本と対戦したドイツは敗退し、日本領となりました。 その時、掘削したのが「ジャーマンチャネル」です。 そして、日本が統治したパラオには約2万人の日本人が居住し、 学校、病院、初等教育、インフラを整備し、建築、港の建設で